人を殺すために秋葉原に来た。誰でもよかった・・
秋葉原の通り魔事件の犠牲者で亡くなられた方・・・増えましたね
とんでもないことです
こうした無差別の殺人事件で
犯人は
誰でも良かった・・・と言いますよね
人生が嫌になったから・・・・と言いますよね
で精神鑑定が行われて・・・責任能力が無かった・・・なんて判断が出ると
死んだ犠牲者の方の命は何だったんだ・・・って思いますよね
人生が嫌にならん人は・・・少なくとも人生の中で1回以上思うよね・・・?
そう・・人生が嫌にならん人間はおらんです(勝手な憶測)
人を殺すことで(あるいは大きな事件を起こすことで)社会とのつながりを
確認してるんでしょうか?
こんな人間・・ますますまわりの人間は遠ざかりますよね・・・
さらに疎遠に・・・
自分は疎外されている・・・そんな思いこみが社会に牙をむくんでしょうね
社会は一人一人がコミットすることで成り立っているんでしょう?
まず存在は言葉で表現しましょう
言葉が紡ぎ出され、テクストが編まれる・・・
もともと社会はネットなんですね・・・
だからインターネットの中でも疎外感を感じてしまうと
現実の犯罪が起きる・・・
インターネットの中で孤立する人間・・・いろんなタイプありますよね
インターネットでは現実以上に
他者を疎外・・・そんな意識は無くとも・・・
SNSに属する/属さない・・・それが格差を感じさせ
やがては疎外感/焦燥感を生み
犯罪へと至る・・・
なんせ個人の頭の中の幻想に基づいて、社会は成り立っているんだから・・
どんなことも起きる可能性が・・
そこに共通基盤をつくってやんなきゃ・・・
それが文部科学省の言ってる道徳教育やら、どこぞの都知事のスパルタ教育とやらで無いことは確かで・・・
犠牲になった方・・・それが自分の家族だと想像してみてください・・
もうあの優しさもぬくもりも楽しみも一緒に旅行も・・・すべて奪われるんですから
ご冥福を心より・・